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静岡県静岡市葵区のブラジリアン柔術と総合格闘技、グラップリング、キッズ柔術の名門道場「ブルテリア格闘技ジム・ボンサイ柔術静岡」

ブラジリアン柔術・総合格闘技・グラップリング・ブルテリア格闘技ジム

〒420-0032 静岡県静岡市葵区両替町1丁目4-8 佐乃春ビル2F北

ボンサイ柔術とはWhat's Bonsai Jiu-Jitsu

Bonsai Jiu-Jitsuの起源


1993年にマウリシオ・ソウザ、マルコス・ヨシオ・ソウザ、ホベルト・サトシ・ソウザの父、アジウソン・ソウザがブラジル・サンパウロにて立ち上げたアカデミーです。


ボンサイ柔術立ち上げ当時、マルコス・ヨシオ・ソウザと父アジウソン・ソウザ、母マリーと


ソウザ兄弟の父アジウソン・ソウザはオクタビオ・アウメイダ・ジュニアより黒帯を取得。
オクタビオ・アウメイダ・ジュニアの父オクタビオ・アウメイダはエリオ・グレイシーの1つ上の兄ジュルジ・グレイシーより黒帯を取得されていますので、ボンサイ柔術の帯はグレイシーの系譜を継いでいます。


オクタビオ・アウメイダ・ジュニアの父、メストレオクタビオ・アウメイダはブラジルサンパウロで初めてブラジリアン柔術の道場を開いたサンパウロ柔術のパイオニアです。

ボンサイ柔術の帯の系譜



コンデコマこと前田光世からカーロス・グレイシーに受け継がれ、そこからエリオ・グレイシーの兄弟へと引き継がれ、
エリオ・グレイシーの兄ジョルジ・グレイシーからオタービオ・アウメイダ、オタービオ・アウメイダJRへ


そこからソウザ兄弟の父、アジウソン・ソウザへと受け継がれていきます。
末尾には「あなたはどこにはいる?」のメッセージが。


グランドマスター、エリオ・グレイシー(中央)とホリオン・グレイシー(左端)とアジウソン・ソウザ(右端)とマウリシオ・ソウザ(左から2番目)、マルコス・ヨシオ・ソウザ(右から2番目)


REGISTROS AUTORIZADOS
登録協会

REGISTRO NO CREF 179-01
REGISTRO NA C.B.J.J 04519.
REGISTRO NA F.P.J.J. 596

FORMACAO
黒帯認定者

ADILSON ANTONIO DE SOUZA
FAIXA PRETA 3GRAU JUDO E JIU-JITSU
DELEGADO REGIONAL DA F.P.J.J
LECIONA JUDO E JIU-JITSU HA MAIS DE 20 ANOS NA REGIAO

SUPERVISAO
黒帯公認者
OTAVIO DE ALMEIDA JUNIOR
FAIXA PRETA 5GRAU
PRESIDENTE DA F.P.J.J.
FONE:4024-4337

若き日のソウザ兄弟とソウザファミリー

左から長男マウリシオ・ソウザ、次男マルコス・ヨシオ・ソウザ、長女クリスチアーニ・ユカリ・ソウザ、3男ホベルト・サトシ・ソウザ、父アジウソン・ソウザと中央にブラジルの人気テレビタレント、ルシアーノ・ズザフィールと


左上から次男マルコス・ヨシオ・ソウザ、右上長男マウリシオ・ソウザ、中央父アジウソン・ソウザ
左下3男ホベルト・サトシ・ソウザ、中央下4男ムリーロ・タケシ・ソウザ、右下長女クリスチアーニ・ユカリ・ソウザ


左からムリーロ・タケシ・ソウザ、ホベルト・サトシ・ソウザ、クリスチアーニ・ユカリ・ソウザ
マルコス・ヨシオ・ソウザ。マウリシオ・ソウザ、父アジウソン・ソウザ


当時ブラジルで流行したファミリー全て格闘家のドラマ”Da Dor do Pecado”にちなみ、
リアル”Da Dor do Pecado”としてボンサイファミリーが特集されたこともあります。


2000年代に入りチームもだんだん大きくなっていきました。


2002年のCBJJ全ブラジル選手権で優勝したホベルト・サトシ・ソウザ(当時12歳)


同年同大会のCBJJ全ブラジル選手権ではサトシの姉のクリスチアーニ・ユカリも優勝しました。


長女ユカリ当時茶帯とホベルト・サトシ・ソウザ当時青帯、常に大会で入賞を収めるようになり頭角を現してきました。


2004年4月に長男マウリシオ・ソウザが初来日し、ブルテリアの協力のもとボンサイ柔術ジャパンを立ち上げます。


静岡県磐田市にできたボンサイ柔術ジャパン幻の第一号道場。


諸事情により半年後に磐田市の別の場所に移転します。


マウリシオ・ソウザの評判を聞きすぐに生徒が集まってきました。


精力的に大会に出場、若かりし日のクレベル・コイケ(当時14〜15歳)の姿も(右下で座っている青い道着)


クレベルの兄クリスチャン・コイケとで大会を1,2フィニッシュ


数々の大会で結果を残していきます。


プロ柔術で活躍するマウリシオ・ソウザ


当時ブラジルにいたマルコス・ヨシオ・ソウザは2005年の全ブラジル選手権大会コパ・ド・ブラジルで優勝

当時のソウザファミリー

左からホベルト・サトシ・ソウザ、クリスチアーニ・ユカリ・ソウザ、父アジウソン・ソウザ、
マウリシオ・ソウザ、マルコス・ヨシオ・ソウザ


2005年マルコス・ヨシオ・ソウザが初来日します。


マルコス・ヨシオ・ソウザとマウリシオ・ソウザ


この時の滞在期間1か月でしたが、大会に出場し優勝、前評判通りの強さをみせていきます。


翌年2006年、当時ブラジルにいたホベルト・サトシ・ソウザがブラジリアン柔術世界選手権大会ムンジアルの青帯の部で階級別とさらに無差別級でも優勝し青帯で世界一となります。


2006年開催されたプロ柔術グランプリでマウリシオ・ソウザが準優勝

プロマッチでも勝利


2007年ホベルト・サトシ・ソウザが初来日(当時18歳)


2008年クレベル・コイケ(当時18歳)MMAプロデビュー戦で勝利。


2008年ヒクソングレイシー国際大会にて。サトシ、フアン・カイオ優勝、クレベル準優勝。


マルキーニョス優勝


ボンサイ柔術コンペティションチーム全員が入賞しました。

世界中からもトップファイター達がボンサイ柔術を訪れました。

UFCファイターでブラジリアン柔術世界王者レオ・サントスとエドゥアルド・ペッソーア


ブラジリアン柔術フェザー級で5度世界王者に輝いたフーベンス・シャーレス・コブリンヤ


ブラジリアン柔術ライト級世界王者ルーカス・レプリ


ブラジリアン柔術フェザー級世界王者ハファエル・メンデス

2008年10月静岡県浜松市にボンサイ柔術浜松支部となるブルテリア格闘技ジム浜松がオープンします。
この時の記事は多くのメディアにて取り上げられました。

格闘技雑誌ファイト&ライフ。


ゴング格闘技


サブミッション魂

2011年5月ボンサイ柔術創始者でマウリシオ、マルコス、ホベルト・サトシ等の父アジウソン・ソウザが病のため永眠。
享年52歳でした。
アジウソンは亡くなる前に以下の言葉をファミリーのみんなに残しました。

(原文)
"O jiu jitsu sempre foi a alegria da minha vida.
Todas as vezes que amarrei minha faixa honrei meu kimono.
Dos adversarios que perdi, aprendi a licao de como fazer certo.
Dos que ganhei, a certeza de que percorri o caminho da vitoria
sem nunca me sentir melhor ou pior.
Tirei de cada treino, todo o prazer que o esporte de kimono
pode oferecer.
A maior verdade que encontrei foi a alegria dos meus filhos,
o amor da minha esposa e o respeito dos meus amigos.
Sigo em paz certo de haver cumprido minha tarefa."

Adilson de Souza

(翻訳)
柔術は私の人生で常に幸福をもたらしてくれました。
毎回帯を結ぶたびに私は自分の道着の労をねぎらってきました。
戦い負けた時は、私は戦った相手から正しいやり方を教わりました。
戦いに勝った時は、勝利に向かって進んで来た道が正しかったことが確認できました。
それにより、最高や最悪といった気持ちに支配されることはありませんでした。
私は日々のトレーニングで、柔術の中で幸福を感じていきました。柔術は私にそれらを提供してくれました。
そして私の見つけた最大の真実は、私の子供たちの喜び、妻への愛、そして友人達への敬意でした。
私は安らかに、自分の使命を果たしたことを確信しています。

故アジウソン・デ・ソウザ

マルコス、サトシ、クレベル等はMMAの試合前必ず控室で何度もこのメッセージを読み、アジウソンの残したメッセージを体に刷り込み、試合に臨んでいます。
アジウソンの父についてはブラジルナンバー1の格闘技マガジンGracie Magazineでも取り上げられました。
Gracie Magazineの記事はこちら

さよならの時、黒帯になる

柔術、父と息子。

今週最大の出来事の一つは日本のヒクソングレイシーカップの黒帯で王者となったマルコス・ソウザとホベルト・サトシ・ソウザのソウザ兄弟の大会制覇でした。

今年(※2011年当時)5月に膵臓癌のため享年52歳の若さで亡くなった父マスター・アジウソン・ソウザ(1958年〜2011年)。
父を失った後彼ら兄弟が競技の世界に戻ってきて、優勝した彼らを待っていたのは感動の涙でした。

このイベントで二つの金メダルを獲得したマルコス・ソウザはグレイシー・マガジンのインタビューに答え、彼らから多くのことを学びました。
「父を失った後、無気力となり、柔術のトレーニングや試合へのモチベーションが無くなり、柔術を辞めて別の道へ進む事さえ考えました。」と彼は明かした。

「東京での大会で黒帯の無差別級に兄弟で共に決勝まで勝ち上がり、私たちの勝利が確定したときにサトシは僕に言いました。決勝戦でレフリーが僕達の腕を上げたときに「もしお父さんがここにいて僕たちの勝利を見ていてくれたら良かったのに・・・」

彼を抱きしめながら私は彼に答えました。「父はここにはいないが、間違いなく今のこの私たちの勝利を見てくれているよ。」

感動は止まらない。
ホベルト・サトシ・ソウザは父マスターアジウソンが亡くなる5時間前に病院のベッドで父から黒帯を受け取りました。
マスターアジウソンは遺産として彼の子供たちをスポーツ界に残しました。
「父は病院のベッドでサトシに黒帯を渡しました。父は自分の使っていた帯をサトシに受け渡し、マットの上で盛大に帯の授与式を行う事が出来なかったことを詫びました。」
「そして父は続けてこう言いました。栄光は間違いなくここにあると確信している。」とマルコスは締めくくった。
何もあきらめないで、兄弟。
あなたたちはこれから上に駆け上がっていき、あなたたちにはたくさんの拍手が送られていくでしょう。

この時のエピソードは以下のドキュメンタリーでも詳しく語られています。


2011年ボンサイ柔術ブラジル本部道場が移転

ビル全体がボンサイ柔術となっています。


トレーニングマシンを入れてメガジムへと生まれ変わりました。


マットスペースも広くてきれいになりました。


2014年ボンサイ柔術ジャパン本部道場が移転

ブラジル本部同様広いマットスペースと、


トレーニングマシンを導入しメガジムへと生まれ変わりました。

2015年総合格闘技イベントREALタイトルマッチにマルコスが出場

勝利しマルコス・ソウザがREALウェルター級王者に

2015年ヨーロッパ最大の格闘技イベントKSWにクレベル・コイケが出場

ポーランドで開催するヨーロッパ最大格闘技イベントは5万人の大観衆で行われました。


勝利を重ねポーランドで大人気になります。

2016年ホベルト・サトシ・ソウザがREALスーパーライト級グランプリに出場

優勝しREALスーパーライト級王者となります。

クレベル・コイケはKSWで勝ち星を重ね

2017年にタイトルマッチに挑み勝利しKSWの王者となります。


2008年以降の各選手の詳細な活躍は以下にてブルテリア格闘技ジム浜松サイト内に記載されていますのでご参照ください。
2008年〜2014年前半
2014年後半
2015年〜2018年
2019年以降

バナースペース


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